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2012年1月26日木曜日

捨てられない手紙 胎内納入文書

その辺に置いておく訳にも、燃やしてしまう訳にも行かない手紙や書類。
昔の人にも、そういう物があったのですね。
なんだか捨てるに忍びない手紙とか、いろいろあった時のちょっとした記録とかだったのでしょう。


仏像の胎内に納められた印仏の用紙は、どうも真新しい紙ばかりではなかったようです。
と言っても反古紙というのではなく、古文書として重要文化財に指定されるような内容の物もあったようです。








いろいろアレなお手紙や書類の裏から、細い線彫りの仏画の印を淡々と、びっしり一面に押してゆく。何十枚。否、何百枚も。綴じて丸めて、仏像の胎内にぎゅっと収めて封をする。
書いた人、かかわった人々の思いも封じ込めて。



今時の、メールやブログは、どうしたものでしょうか。
原子力災害対策本部の議事録などは、当事者達の体内納入文書かなにかにしたつもりなんですかね。




印仏だけでなく、造立の謂れ、お経、真言、お香、仏舎利、仏像、内蔵の模型…さまざまなものが納入されていました。





神奈川県立金沢文庫、 「仏像からのメッセージ 像内納入品の世界」、2月5日(日)まで。


2011年11月26日土曜日

鎌倉×密教「秘仏降臨」

先日、なんとなくふらふらと、鎌倉国宝館へ行って来ました。

宣伝のチラシを見ると「秘仏降臨」と書いてあって、不動明王像が厳しいお顔でこちらを睨んでいる。



どんな感じなんだろうと、恐る恐るのぞいてみると…


大日如来像から始まり、不動明王像も愛染明王像も、おどろおどろしいというよりは、温か味のある厳しさと、むしろ清々しさを感じました。



でもね。



平日の昼間、ゆっくり見ていると、傍らに欄干のような柵から身を乗り出さんばかりにして食い入るように見つめているおじ様がいる。
白髪交じりのあごまでのワンレングスヘア、グレーのツイードっぽいジャケット。
なんか、曰くありげな、物でも書きそうな、先ずサラリーマンはやったことがなさそうな人。

次のコーナーに来ると、あれ、さっき追い越したはずなのに、同じ人が今度は少し離れた位置から全体を真剣に見ている。
いや、背丈が違う。今度の人は背が高い。でも、白髪交じりの長髪で、先ずサラリーマンはやったことがなさそうな人。

ふと振り返ると、似たような人があっちにも、向こうにもいる。外ではあまり見かけないタイプだと思うのだけれど。

振り返ると、愛染明王像の前には荷物を脇に置いて、一心不乱に手を合わせているおば様がいる。


さっきから壁際のベンチに腰掛けて、お腹の前で両手に野球帽を被せている人がいるんだけれど、印かなんかを組んでるのじゃないかという気分になってくる。

ベンチの反対側には、ぐっすり眠りこけていらっしゃるお姉さまがいる。
よく、ここで眠れるなぁ。私には出来ない。

図像のコーナーへ来ると、神武寺の大威徳明王像をじっと見ているお兄さんがいる。
煤けて、よく見えないけれど、躍動感にあふれた図像。
私も、じっと目を凝らしていると、お兄さんはおもむろにポケットから単眼鏡を取り出してガラスに張り付いてしまった。



「秘仏降臨」かぁ。



そういえば私も、胎蔵界の大日如来坐像の結ぶ法界定印と、栄西禅師の頂相像の結ぶ定印と、左右の手の上下が反対だなぁ、と考えながら、それぞれの像の前で手のひらを上下に組み替えてみたりしちゃってたっけ。


国宝館に入って右奥にいらした来迎寺の如意輪観音像のような、穏やかな、何でも望みが叶ってしまったかのような、そういう人もいたのかも知れないけれど、気づかなかったなぁ。
実物はライトのあて具合か、もっと穏やかで神々しい感じでした。




写真は無いのですが、巨福呂坂町内会の歓喜天像が幸せそうで、見飽きませんでした。。
何か、意味があるのだろうけれど、相手の足の親指を踏んでいるところがかわいらしかったです。




特別展「鎌倉×密教」


明日まで。

2011年4月8日金曜日

日月山水図屏風の中へ





今日は、日月山水図屏風(金剛寺蔵)を見に行った。

砧公園の中の世田谷美術館で「白洲正子 神と仏、自然への祈り」という展示。

先日、一度見に行っているのだけれど、展示替えになる前にもう一度見たかった。


ずっと見てみたくて、ご縁のなかったもの。
最初は何で知ったのだろう。

作者不詳で、自然をモチーフにした曼荼羅とか、宗教儀式に使われたのではといわれている六曲一双の屏風。
遠景も近景もくっきり描かれていて、ふと、グランマ・モーゼスの絵を思い出す。
太陽と月、遠山に霞む桜、根洗いの松、砕ける波しぶき、流れ落ちる滝、雪の降り積もった山々などなど、見ていて飽きない。

ただ、季節の移り変わりが気になる。
右隻の右から左へ「春から夏」、左隻の左から右へ「秋から冬」。

展示してあるように、右隻と左隻を一直線に並べると、上手く繋がらない。
自分を中心に、囲むように廻らせても上手く繋がらない。

もしかして、右隻の左端にちょっと間を空けて左隻の左端を90度に置いて見たらどうだろう。
そして、自分が春から夏、秋から冬へと移動しながら眺めると、やっと季節が順繰りに巡りだす。

右隻を手前、左隻を奥に平行に置いて、手前の屏風の周りをぐるりと回るようにすれば、何回でも季節のめぐりを体験できる。

そんなことを考えながら美術館を出て、砧公園を散策した。
今を盛りの桜の下で花見をする人々。
本当にすごい桜。

なだらかな草地を歩いてゆくと、緑の木々の間にもポツリポツリと桜が咲いている。
まるで先ほど穴の開くほど見つめていた屏風の春の部分のように。
花曇で影もなく、方向を失い、公園の中で道に迷ってしまった。
屏風の中へ入ってしまったらこんな気分なのだろうか。

仕事に戻るために街中を歩いていてふと思った。
あの屏風はきっとその周りを歩きながら眺めるように作られていたのだろう。
あれが曼荼羅なら、こうして歩いているこの世の中も曼荼羅のようなものなのだろう。

生きていて歩いているということは、幸せなことだと思った。